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泊小学校教倫同窓会・泊文化交流協会
活動紹介①
「泊・前島、安里周辺の史跡、拝所 調査研究」(H23.8~10実施)

泊文化交流協会の活動の一環として、泊地区の歴史と伝統の継承に中期的に取り組んでいくこととした。手始めに泊・前島、安里周辺の史跡や拝所をインターネットや図書館の沖縄コーナーの文献、雑誌等などを利用して学習し、実地調査を行い調査研究の成果として「泊・前島、安里周辺の史跡、拝所 調査研究」としてまとめた。
<b>崇元寺石門</b>
第一門及び石牆は、正面中央の切石積み三連の棋門(アーチ門)とその左右に延びる両掖門を備えた琉球石灰岩のあいかた積みの石壇であり、沖縄の石造拱門の代表的なものである。
崇元寺石門
第一門及び石牆は、正面中央の切石積み三連の棋門(アーチ門)とその左右に延びる両掖門を備えた琉球石灰岩のあいかた積みの石壇であり、沖縄の石造拱門の代表的なものである。
<b>泊塩田之跡碑と焚字炉</b>
<b>泊塩田之跡碑</b>は当時、過酷な生活環境の中で製塩業をしていた祖先を偲び、泊製塩業者の子孫が万感の想いを込めて祖先の偉業を顕彰するために建てた記念碑。焚字炉は尚育王の時代に設けられ、文字を書いた紙片を大切にする様に適当な場所に焚字炉を設けて路傍の紙片はこれに入れて積もった時に焼いていた。
別名は惜字炉ともいう。
泊塩田之跡碑と焚字炉
泊塩田之跡碑は当時、過酷な生活環境の中で製塩業をしていた祖先を偲び、泊製塩業者の子孫が万感の想いを込めて祖先の偉業を顕彰するために建てた記念碑。焚字炉は尚育王の時代に設けられ、文字を書いた紙片を大切にする様に適当な場所に焚字炉を設けて路傍の紙片はこれに入れて積もった時に焼いていた。
別名は惜字炉ともいう。
活動紹介②
久高島まちま~い(H27.3.27実施)
2年前から当協会で計画していた調査を兼ねた久高島のまちま~いがやっと実現した。
初夏のようなさわやかな好天の下、休日のせいか観光客で満席の高速船に揺られて久高島に渡った。ガイドの興味深い説明もあって、短い時間であったが参加者の皆さんは熱心に聞き入り、貴重な情報に接することができた。そして久高島の旅を楽しむことができた。
<b>久高殿(ウドゥンミャー)</b>
久高祝女と久高根人が祭主で、ここの前にある広場も含めて午年に行われていたイザイホーの舞台となった神聖な場所である。イザイホーは1978年を最後に途絶えている。
久高殿(ウドゥンミャー)
久高祝女と久高根人が祭主で、ここの前にある広場も含めて午年に行われていたイザイホーの舞台となった神聖な場所である。イザイホーは1978年を最後に途絶えている。
<b>フボー(クボー)御嶽</b>
沖縄の七大御嶽といわれている最高の聖地である。昔から男子禁制の御嶽であり、多くの祭祀が執り行われている。現在は男女を問わず御嶽は立ち入り禁止となっていて、入口付近の大きな石のところで我々は感謝を込めて拝礼した。
フボー(クボー)御嶽
沖縄の七大御嶽といわれている最高の聖地である。昔から男子禁制の御嶽であり、多くの祭祀が執り行われている。現在は男女を問わず御嶽は立ち入り禁止となっていて、入口付近の大きな石のところで我々は感謝を込めて拝礼した。
活動紹介③
ガマフヤー代表具志堅隆松氏特別講話実施(H27.3.20実施)
日 時:H27年3月20日 18:30~19:30
場 所:那覇セントラルホテル
出席者:9名(具志堅(遺骨収集団体ガマフヤー代表)、多和田、真喜志、安里、玉城、佐々木、久高、大浦、新里)
●特別講和・・・沖縄戦の遺骨収集作業活動状況
 (講師) 具志堅隆松氏(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表、沖縄大学地域研究所特別研究員)
○戦後70年を迎え、当協会として泊地区の清掃活動や遺骨収集等のいろいろな社会貢献活動やボランティア活動ができないか検討した。その一環として3月の役員会前に具志堅隆松氏を招いて沖縄戦戦没者の遺骨収集作業の活動状況について特別講和をして頂いた。
 特に具志堅氏の活動で注目したのは、単に遺骨収集だけでなく、可能性のある遺骨については全てDNA鑑定を国に求め、ご遺族の方々にお返しするように心がけているという点である。DNA鑑定できるのは、ご遺族了解の元にDNAが取れることであるが、ご遺族の高齢化でDNA鑑定が次第に困難となってきている。これまで、DNA鑑定で判明した遺骨は、沖縄の人で4名いる。
 具志堅氏はまた沖縄でDNA鑑定ができる施設を作る運動もしている。
浦添市で発見された日本兵の遺骨一体と、2010年3月に那覇市真嘉比で出土した日本軍の靴の中から発見された遺骨について厚生労働省の担当者にDNA鑑定を依頼したことを発表する具志堅さん。
浦添市で発見された日本兵の遺骨一体と、2010年3月に那覇市真嘉比で出土した日本軍の靴の中から発見された遺骨について厚生労働省の担当者にDNA鑑定を依頼したことを発表する具志堅さん。
活動紹介④
対馬丸の慰霊祭出席(H27.8.22実施)

日 時:H27年8月22日 11:00~12:30
場 所:那覇市若狭「小桜の塔」
出席者:6名(真喜志、久高、安里、多和田、玉城、新里)

対馬丸は1944年8月21日の夜、沖縄から本土に疎開する学童など1788人を乗せ、那覇港を出港。長崎に向かう途中の翌22日午後10時過ぎ、鹿児島県悪石島の北西10km地点を航行中に、米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没し、780人の学童を含む1485人が犠牲となりました。
台風15号が接近して、時折雨がパラつくむし暑い天候の中、今年も遭難から71年目の夏に対馬丸の慰霊祭が小桜の塔前で行われました。遺族や生存者ら約500人が参列し、鹿児島県沖の海に沈んだ犠牲者に思いをはせました。
戦後70年の節目に、泊小学校同窓会、泊文化交流協会として何かできることはないかと以前から検討していました。その一環として泊小学校の数多くの先輩方も対馬丸に乗船して犠牲になられたことから、対馬丸の慰霊祭に参加して、犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げようということになりました。当日は、「泊小学校教倫同窓会」として供花をして6名のメンバーが慰霊祭に出席しました。なお、久高副会長は沖縄合唱団として出席し、慰霊の塔前で合唱して御霊を慰霊しました。
台風15号が接近して、時折雨がパラつくむし暑い天候の中、今年も遭難から71年目の夏に対馬丸の慰霊祭が小桜の塔前で行われました。遺族や生存者ら約500人が参列し、鹿児島県沖の海に沈んだ犠牲者に思いをはせました。
戦後70年の節目に、泊小学校同窓会、泊文化交流協会として何かできることはないかと以前から検討していました。その一環として泊小学校の数多くの先輩方も対馬丸に乗船して犠牲になられたことから、対馬丸の慰霊祭に参加して、犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げようということになりました。当日は、「泊小学校教倫同窓会」として供花をして6名のメンバーが慰霊祭に出席しました。なお、久高副会長は沖縄合唱団として出席し、慰霊の塔前で合唱して御霊を慰霊しました。

泊小学校教倫同窓会・泊文化交流協会

教倫の風いつまでも 平成18年6月に、戦後の泊小学校同窓会がこれまでの泊小校友会を発展継承して発足し、その伝統と歴史を引き継いで第一回の同窓会を開催した。同窓会は設立後、今年(平成27年)で9年目を迎え、その間写真集の発行や限定住所録の編集整備等の事業を終え、同窓会の名称も、「教倫堂」の教学の歴史から泊小学校教倫同窓会(略称、教倫同窓会)に改めた。
泊小学校教倫同窓会 泊文化交流協会
住所;沖縄県那覇市泊1-27-15  電話番号;098-863-7313  FAX番号;098-867-5261
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