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泊小学校教倫同窓会・泊文化交流協会
栄町まちま~い模様 (H30.4/28)
「安里の歴史を歩き、考える」という栄町一帯のまちま~いが4月28日、30名近くの多数の参加を得て開催された。案内人は安里の歴史に詳しい「安里歴史研究会」会長の真栄里泰山先生である。泊文化交流協会との共催で実施され、安里事務局長も案内補佐として頑張っていた。泰山先生から、彼は安里大親の子孫だと紹介されて参加者一同驚いていた。
当日は、栄町りうぼうに集合し、駐車場の一角を拝借して、泰山先生から30分近く、手書きの地図を見ながら栄町の歴史について、分かりやすい名調子の説明があり、みんな興味深く聞き入っていた。
実はその昔、栄町、大道一帯は農地や畑が広がるところであり、道路はなく現在の首里から安里三叉路に至る大通りや姫百合通りは、明治16年になって、明治政府が作った道路だということに驚いた。
その後、戦前までは農村地帯に女学校や陸軍施設があったが、戦後、様変わりして現在はゆいレールの安里駅があり、基本的には住宅地ながらも、那覇市内でも有数の飲食街である栄町市場や歓楽街の栄町社交街が賑わいを見せている。また、栄町という地名はなく、安里東部から、大道にまたがる一帯を栄町とよんでいる。
(順路)
開始16:00~女子師範一高女の寄宿舎の井戸跡~陸軍墓地慰霊塔、栄町無縁佛供養塔~栄町市場内ひめゆり同窓会館~大道小学校前、乙女の像(二輪の百合)~解散 17:50 (写真・文 2期生;真喜志)
(1)泰山先生の栄町説明
(1)泰山先生の栄町説明
泰山先生の名調子による栄町の説明には、立ったままであったが、みんな熱心に聞き入っていた。
改めて栄町の成立過程を聞いて、そうだったのかと、みんな初めて聞くような気持ちだった。30分近い説明だったが、時間を感じさせなかった。
(2) 寄宿舎の井戸跡
(2) 寄宿舎の井戸跡
栄町りうぼうの片隅にひっそりと残っている女子師範一高女の寄宿舎の井戸跡。
かつては寄宿舎に寝起きした女子学生たちの生活をささえたであろう井戸も、今は埋められてその跡が寂しくわずかに残っているだけであった。気がついている人も少ないかもしれない。
(3) 陸軍墓地慰霊塔
(3) 陸軍墓地慰霊塔
陸軍墓地慰霊塔(右)と栄町無縁佛供養塔(左)
陸軍墓地は、元々は熊本鎮台派遣分隊の戦死者を弔うための墓であったが、1909年(明治42年)に正式に陸軍墓地となった。場所は栄町市場から道向かいを30mくらい離れた住宅街の一角にあった。
とまりんフェスタ2017「泊の歴史散歩」模様(H29.9/9~10)
 今年のとまりんフェスタ2017のイベントの一つである「泊の歴史散歩」が9/9~10の二日間に渡って実施された。これはバジルホール来琉200周年記念碑や泊外人墓地など8カ所を巡る泊のまちま~いである。
 我々泊文化交流協会が今年もガイド役として協力した。ガイド役は2014年から始めて今年で4回目の協力である。当日は二日間とも晴天に恵まれ、残暑が厳しい蒸し暑い日となった。参加者の皆さんは水分補給をして熱中症に気をつけながら全員元気にまちま~いを楽しんでいた。
・日 時:平成29年9月9日(土)~10日(日) 10:00~11:40(約100分)       
・コース:①バジルホール来琉200周年記念碑~②泊高橋と琉歌の石碑~③泊外人墓地~④ペルリ提督上陸記念碑~⑤松茂良興作翁顕彰碑~⑥天久宮~⑦泊之ユイヤギ御嶽~⑧天久山聖現寺       
・参加者:9月9日11名 9月10日7名                              
・ガイド:泊文化交流協会;多和田、玉城、真喜志 写真、文;真喜志
1日目 バジルホール来琉200周年記念碑
1日目 バジルホール来琉200周年記念碑
この記念碑は、1816年に琉球を訪問した英国人、バジルホ―ルの来琉200周年を記念して、昨年12月に設置された。バジルホールは、イギリス艦船の艦長で『朝鮮・琉球航海記』を出版して欧米に伝えて、ベストセラーとなった。彼は航海記の中で、「琉球の人々は文明化していて、武器も持たない平和な民である」と紹介して琉球を理想郷的に伝えた。また、ナポレオンと会見して、「武器のない平和な島」として琉球を紹介し、ナポレオンを驚かせた。
1日目 泊外人墓地
1日目 泊外人墓地
古くから22基の外国人の墓があったので「ウランダー墓」とも呼ばれていた。中国人(清人)、アメリカ人、イギリス人、フランス人、スェーデン人などの異国の人々が眠る墓地であった。代表的なものとして、バジルホールの部下で英国水兵ウィリアム・ヘアーズ(1816年没)やペリー提督の従者のジョン・バーンズ(1853年没)、オランダ屋敷に住んでいた宣教師で、沖縄県立中学校の英語教師でもあったヘンリー・アモア(1908年没)が眠っている。
1日目 天久宮
1日目 天久宮
天久宮は、石灰岩の上に建つ3層構造となっており、狭い土地に自然の地形を利用して配置した構造となっている。一番上に鳥居と貴布仁御世の御嶽があり、真ん中に拝殿と本殿、弁財天と泊龍宮神、弁天負泰彦大神の御嶽、そして一番下に泊之ユイヤギ御嶽となっている。創建は成化年間 (西暦1465~1487年)
鳥居の前で1日目の参加者の皆さんと記念写真。
2日目 泊高橋と琉歌の石碑
2日目 泊高橋と琉歌の石碑
泊高橋は1700年に石橋に架け替えられ、その下を船が往来できるようにアーチ状にしたことからその名がついた。今も昔も那覇と中北部を結ぶ交通の要衝である。
琉歌の石碑には「泊高橋 になんじゃじふわ落ち いちか夜ぬ明きて とめてさすら」と記されている。意味は、「泊高橋から大切な銀のかんざしを落としてしまった 夜が明けてから探しだすことができるだろうか」
裏の意味はもっと興味深い内容となっている。
2日目 ペルリ提督上陸記念碑
2日目 ペルリ提督上陸記念碑
東インド艦隊司令長官のペルリが日本との開国交渉の前に1853年に琉球へ来航したのを記念して建てられた。ペルリは泊港から上陸後首里王府の抵抗を押し切って、首里城を訪問した。記念碑の銘板には「琉球人の繁栄を祈り且つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む1853年6月6日 大美御殿における招宴席上のペルリ提督挨拶」とある。
記念碑の前で2日目の参加者の皆さんと記念写真。
2日目 天久山聖現寺
2日目 天久山聖現寺
聖現寺は、真言宗の寺院で、本尊は正観音菩薩。
成化年間(1465~1487年)に創建され、天久宮の別当寺となっていた。
聖現寺はその昔外国人の臨時の居留地として利用されていた。また英国艦隊やフランス艦が来航した時は、宿泊所として聖現寺が割り当てられた。これは直接首里城に近づかせないための作戦だと言われている。

泊小学校教倫同窓会・泊文化交流協会

教倫の風いつまでも 平成18年6月に、戦後の泊小学校同窓会がこれまでの泊小校友会を発展継承して発足し、その伝統と歴史を引き継いで第一回の同窓会を開催した。同窓会は設立後、今年(平成27年)で9年目を迎え、その間写真集の発行や限定住所録の編集整備等の事業を終え、同窓会の名称も、「教倫堂」の教学の歴史から泊小学校教倫同窓会(略称、教倫同窓会)に改めた。
泊小学校教倫同窓会 泊文化交流協会
住所;沖縄県那覇市泊1-27-15  電話番号;098-863-7313  FAX番号;098-867-5261
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